山口御茶屋跡

文久3年(1863)4月16日、前年より攘夷実行に備え、藩庁の移転準備を進めていた藩主・毛利敬親は、湯田温泉への日帰りの湯治という名目で萩を発ち、中河原の御茶屋に入り、そこに政事堂を置きました。同年7月には藩庁移転を公表。現在の県庁の地に山口御屋形が完成するまで、ここは藩政の中心地となりました。

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