福原邸跡

慶応から明治に改元され、平成30年で150年。

維新夜明け前の幕末、京での八月十八日の政変、
下関戦争、禁門の変、第一次幕長戦争へと歴史の大きなうねりの中、
長州藩は存亡の危機を迎えた。

藩は、福原越後公(宇部領主)、國司信濃公(万倉領主)、
益田右衛門介公(須佐領主)の三家老に禁門の変の責任を負わせ、
切腹を命じ、幕府へその首を差し出した。
藩を救うという大義のため、
忠義を尽くしながらも「不忠不義」による切腹を命ぜられ
無念の最期を遂げた三家老の死は、
若い志士たちの心を突き動かす契機の一つとなっていく。

藩の裁量に対して高杉晋作らが挙兵し、藩内の保守派(俗論党)を追放。
そのエネルギーは、倒幕、維新へと進み、日本を新しい時代へと導いていった。

 

宇部の領主福原家は長州藩永代家老として萩堀内の屋敷で暮らし、
宇部の邸は御田屋(おたや)と呼ばれていた。
昭和51年(1976)、市の史跡公園として開放された園内には井戸跡、
屋敷神、樹木が現存。門は萩屋敷正門を3分の2に縮小模造したもので、
階段は神原公園にあった越後公銅像の台座が使われている。

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